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社説・コラム

『この人』 原爆胎内被爆者全国連絡会の設立を呼び掛けた 好井敏彦さん

「沈黙から声を」活動促す

 原爆が落とされた時に母親のおなかにいて、放射線の影響を受けた胎内被爆者。「みんな活動する運命にある。とにかく何か始めましょう」。連絡会発起人として、昨年秋に全国へ参加を呼び掛けて9カ月余。5日、広島市中区で設立にこぎつけ、あいさつの声に力が入った。

 母文恵さん(2006年に86歳で死去)はあの日、25歳。妊娠4カ月だった。爆心地から約2・5キロの尾長町(現東区)にあった旧国鉄官舎で被爆したが、干そうとしていた布団に覆われ、奇跡的に無傷だったという。

 母は体験を語らなかったし、自分も「つらいだろう」と聞かなかった。広島大軽音楽部でジャズに親しみ、卒業後ジャズピアニストに。「被爆者」としての活動とは長く無縁だった。

 母が古希を過ぎた頃、心の底に残っていたその思いに初めて触れた。香川県坂出市の自宅で、訪問販売の布団を何度も買う母をとがめると、「命より高いものはないやろ。布団のおかげで命がある」と返された。

 母が亡くなって2年後、坂出で被爆ピアノの演奏を頼まれた。ガラスが刺さったピアノに「生き残った俺と同じ」と共感。2世や3世はまだ若い。残りの人生を「最も若い被爆者」として役立とうと決めた。

 2年前、香川県原爆被害者の会の会長に。日本被団協の坪井直代表委員(89)から「バトンをやっと渡せる」と励まされた。「7千人以上いる胎内被爆者の多くはまだ黙っている。その声をまず引き出したい」。坂出市で父(94)、妻(50)と暮らす。(加納亜弥)

(2014年8月6日朝刊掲載)

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