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ヒストリー

ヒロシマの記録1953 9月


1953/9/1
日本ペンクラブが原爆障害者救済へ救援委員会の設置を決定、募金活動へ。原対協の懇請にこたえる。作家石川達三氏「原爆障害者が8年間もほっておかれたということは、政治やヒューマニティーの貧困ということもできるが、いまからでも対策を立て、大至急に救済の道を講ずべきだ。募金運動もよいが、国家による救済が本筋だ。われわれも差し当たり一般募金に協力していきたい」
1953/9/2
右翼的な米在郷軍人団体アメリカン・リージョンがセントルイスでの第35回全国大会で決議。「朝鮮政治会議の交渉が妥協しない場合、米政府は使用し得るあらゆる兵器(原爆、水爆を含む)を用いて共産勢力を朝鮮から追い出して統一民主政府をたてるべき」
1953/9/3
ABCCのモロニー内科部長ら医師3人が白血病の小学3年生を県立広島病院に入院させる。同病院医師に協力し日本にない米の試供新薬アミノプテリンを投与し治療(9・20夕)
1953/9/7
広島県教組執行委員会が日教組製作の映画「ひろしま」上映で「広島、長崎県は自主配給」の態度を決める。「反米色が強い」と一部カット要求や全国配給を断った松竹とは「交渉打ち切り」に
1953/9/9
米の原子物理学者、スタンフォード大のシッフ教授が広島市を訪問。「米原子物理学者として広島に原爆が投下されたことは大変悲しいことであった。いまなお原爆はどしどし製造されているし、われわれとしては第三次世界大戦が絶対に起こらないよう努力すべきだ」
1953/9/10
英デーリー・スケッチ紙の映画「ひろしま」批判記事に関し、ロンドンのアンゼロ・クロボー女史から浜井広島市長に手紙。「この映画は人類社会に対する大きな警告です。私たちの組織を通じて、映画の真の意義を英国民に徹底させるよう努力します」
1953/9/11
日教組が文化部長会議で映画「ひろしま」の上映について「広島、長崎は自主配給」の方針を決定
1953/9/12
広島市内の白血病患者が女児を出産。「白血病では母子ともに死亡」の定説を覆す
1953/9/13
原対協が招請した都築正男東大名誉教授が広島医師会館で外科関係障害者30人を診察。うち3人を14日、広島市民病院で公開手術
1953/9/13
原子兵器の使用を想定した初の北大西洋条約機構(NATO)の合同演習が終了。西ドイツ領内で米、英、仏、ベルギー4カ国の空陸将兵17万5,000人が参加し4日間訓練
1953/9/14
AFP通信が「ソ連は現在、原爆、水爆のほかにコバルト爆弾を保有しているとのうわさがある」と報じる
1953/9/15
東大職員組合と日本文化人会議が東京の兼坂ビルで映画「ひろしま」を上映。国際理論物理学会議に参加した外国科学者8人らが観賞。同会議の開会式があった東大での上映は同大が禁止
1953/9/15
故仁科芳雄博士の追悼式が東京・駒込の科研講堂で。国際理論物理学会議に参加した国際物理学連合会長のモット博士らが参列
1953/9/15
国際理論物理学会議が東大安田講堂で開会式。世界14カ国400人の学者が参加。日本学術会議の亀山直人会長が「広島の原爆は原子物理学者の推論が正しいことを証明した。日本人は原子核物理学者の能力を深く信じている。真理を戦争目的でなく人類の福祉のために利用してほしい」とあいさつ。18~23日に京大湯川記念館などで本会議を開催
1953/9/17
米国防総省筋が「米は防衛力強化のため原子砲を極東に配備することになった」と明らかに。国防総省は確認を拒否
1953/9/21
平和記念都市建設を促進するため「広島市建設促進協議会」の設立総会が東京・参院会館で開催。衆参両院議員、広島県知事、市長、県、市議会議長、広島商工会議所会頭らで組織
1953/9/21
広島戦災供養会が戦災供養塔の本格的な建設運動展開を決定。既存の供養塔は仮建築で原爆犠牲者の遺骨収容も限界
1953/9/21
ソ連のビシンスキー国連代表が国連総会で新たな軍縮提案。(1)原水爆の即時無条件使用禁止とその国際管理のための準備促進(2)5大国の軍備の三分の一削減-など。米英仏代表団は「何一つ新しいものはなし」
1953/9/22
精神養子運動の提唱者ノーマン・カズンズ氏が2年ぶり3度目の広島市訪問。夫人同伴で5日間。23日、本川小学校で精神養子410人が感謝会を開催。24日、広島市戦災児育成所を訪問、原爆乙女12人とも初対面、広島大で講演会など
1953/9/25
国際理論物理学会議の外国科学者一行12人が広島市を訪問。米ロチェスター大マルシャック教授「フランク勧告(原爆投下反対勧告)はもちろん支持した。広島に来た学者の中には私の知る限りでは『原爆を投ぜよ』と言った学者は1人もいない」。26日はABCCなどを視察、農協ビルで公開学術講演会
1953/9/26
平和記念公園内で公会堂建設の地鎮祭。設計は白土設計事務所の柴田常男氏
1953/9/27
ロンドンのオブザーバー紙特派員パトリック・ダノバン氏がABCCの活動状況など取材のため広島市を訪問。「(ABCCが)調査研究のほかに障害者の治療も行ったらとの議論も聞くが、それは日本の医者に任すのがよい」
1953/9/28
原対協が原爆障害者の治療現況と集計を発表。3月以来の第1、2次治療で14人の治療を終える。第1次(3月~9月20日・外科のみ)=要治療者21人、治療終了者13人、治療中1人▽第2次(8月~9月21日・内、外、眼科)=要治療者65人、治療終了者1人、治療中16人
1953/9/30
広島市の臨時市会で特別都市計画建物移転調査特別委員会の設置を可決。はかどらない建物移転の促進を図る
1953/9/30
アイゼンハワー米大統領が定例記者会見で水爆問題について言明。「ソ連が水爆を製造し得る能力を持つに至ったことは世界にとって最も重要な事実である。米としていかに国際情勢全般に対処するかを決めるために全力を傾けている」
1953/9/--
広島市が平和記念都市建設法による建設事業の進行率をまとめる。9月末現在、施行済み額42億1,300万円で全体計画284億3,900万円の14.8%
1953/9/--
原対協が第2回審査会を開き、4人の要治療者を選ぶ。第1回審査の9人と合わせ13人の治療を開始へ

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