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ヒストリー

ヒロシマの記録1964 11月


1964/11/1
米原子力潜水艦シードラゴンが沖縄・那覇軍港に寄港
1964/11/1
原水禁広島市協議会(会長、浜井広島市長)が国際軍縮要求デーにちなみ、広島市の平和記念館で中国核実験抗議、米原子力潜水艦寄港反対、日本の非核武装化要求-をスローガンに市民集会
1964/11/2
マクナマラ米国務長官が米誌サタデー・イブニング・ポストに寄稿。「米は核兵器攻撃に生き残り、攻撃国を全滅できる。米は大陸間弾道ミサイル(ICBM)を800発以上持つが、ソ連の数はその四分の一以下だ」
1964/11/4
中国が10月16日に新疆ウイグル自治区で行った初の核実験の写真を公表
1964/11/4
中村誠太郎東大助教授が中国核実験を日本に降下した放射能灰から水爆予備実験と推定
1964/11/5
米国務省が「米海軍の原子力潜水艦(単数)が11月下旬に日本の港(複数)を訪問することになろう」と発表
1964/11/5
被爆した韓国人女性が18年ぶりに広島市を訪れ検診を受ける。広島市が被爆者健康手帳を初めて交付。大邱市の朴道延さん。1946年に韓国に里帰りし、夫婦生き別れに。夫の張泰煕さんは広島市で会社を経営
1964/11/5
被爆者健康手帳の不正入手で広島県警が広島市職員2人から事情聴取。詐欺事件で逮捕した被疑者を取り調べ中、被疑者の妻が病弱なことから、知り合いの市職員2人を保証人に頼み被爆地を偽って特別被爆者手帳を不正入手した疑いが判明。被爆者健康手帳保持者は10月末現在、9万3,000人、医療費が無料になる特別被爆者手帳は6万8,000人
1964/11/6
メスメル仏国防相が国防会議で「来年完成する小型原子爆弾は、戦略空軍の力を強化する」と発言
1964/11/6
湯川秀樹京大教授、坂田昌一名大教授、武谷三男立教大教授、野上茂吉郎東大教授の4氏が物理学会でまとめた米原子力潜水艦日本寄港反対の声明文を公表
1964/11/7
横須賀市で「原子力潜水艦寄港阻止東日本大集会」(社会党系)。労組員、学生ら1万8,000人が参加。米海軍基地正面ゲート前でデモ隊と警官隊が衝突。91人が負傷。原潜寄港阻止闘争で初の流血惨事
1964/11/8
佐世保市で社会党系、共産党系団体が別々に米原子力潜水艦阻止集会。共産党系の原潜阻止佐世保大集会には5,000人が参加。社会党系は原潜寄港阻止全国実行委の西日本総決起大会に1万5,000人
1964/11/9
米原子力潜水艦の寄港承認取り消しを求め、東京・日比谷野外音楽堂で共産党系の緊急中央総決起大会。1万1,000人が参加、国会に請願書提出
1964/11/9
広島市原爆被爆者協議会が原爆手帳不正入手防止で対策を協議(「ヒロシマの記録」)
1964/11/11
在日米大使館が米原子力潜水艦の日本寄港を政府に事前通告。「シードラゴンは12日午前8時佐世保に入港する予定である」
1964/11/11
米原子力潜水艦寄港の事前通告を受け、全国各地で抗議運動。東京で社会党、総評系1万2,000人が集会、国会請願デモ。20数人が負傷。佐世保市と横須賀市では署名運動。広島市では共産党広島県委員会が抗議集会
1964/11/11
佐藤勝也長崎県知事が県民に談話。「原子力潜水艦は世界各国に寄港しており、危険でないことが実証されている。良識を持って対処して欲しい」
1964/11/12
米原子力潜水艦シードラゴンが佐世保に入港。原潜の日本寄港は初めて。艦長のダグラス・B・グセ中佐が記者会見。「原子炉は入港時運転していた。日本寄港の目的は乗組員の休養で、寄港反対運動があることは新聞、放送で承知している」。寄港阻止運動を続けている共産党系の中央実行委員会闘争本部が原潜の見えるふ頭で200人の抗議集会。社会党系の全国実行委員会現地闘争本部も1,000人が米海軍基地司令部周辺をデモ。学生と警官隊が衝突、15人逮捕
1964/11/12
「国際協力と軍備のためのオーストラリア会議」に出席していた浜井広島市長が帰国。「オーストラリア市民のヒロシマについての認識は非常に薄い」
1964/11/12
仏が核ミサイルを積載する核潜水艦の開発を1965~70年軍備計画草案に盛り込む
1964/11/13
UPI通信が英政界筋の話として「英はNATO内での役割増大、独自の核戦力の事実上の放棄などを含む国防政策の変更を計画している」と伝える
1964/11/13
佐世保市の原潜寄港安全対策本部が「佐世保港内の放射線量はシードラゴンの入港前と変化なし」と科学技術庁に報告
1964/11/14
米原子力潜水艦の日本寄港問題で、ニューヨーク・ポスト紙は「核兵器問題に対する日本人の感情からすれば、原潜の寄港はその神経にじかに触れるようなものであり、米外交政策にとってマイナスである」との社説を掲載。中国共産党の機関紙人民日報は「日本の独立、主権および安全に対する最も露骨な挑発であり、極東とアジアの平和に対する脅威である」と論評。モスクワ放送は「米は核兵器が使用される軍事紛争が発生した場合、日本に標的の役割を与えようとしている」と声明
1964/11/14
社会党の楢崎弥之助代議士が佐世保市の原子力潜水艦寄港反対デモで逮捕。約2時間後に釈放
1964/11/14
米原子力潜水艦シードラゴンが佐世保を出港。社会党、共産党系が市内で別々に集会
1964/11/14
原爆乙女の青春を描いたドキュメンタリータッチのテレビドラマ「私は踊り続ける」(名古屋テレビ制作)がNET系で放映。芸術祭参加
1964/11/14
米太平洋艦隊に所属する最初のポラリス原子力潜水艦ダニエル・ブーンがハワイに到着。グアム基地へ近く配備
1964/11/14
ソ連圏理論誌「平和と社会主義の諸問題」で、ソ連をはじめイタリア、インド、スペイン、カナダの共産党幹部が中国核実験を激しく非難
1964/11/15
ソ連共産党紙プラウダが「米原子力潜水艦の日本寄港は米核基地を日本につくる道程の一部」と論評(11・17)
1964/11/15
呉市で世界10億人国際共同行動中国ブロック集会。1,000人が参加。「原潜の寄港を阻止し、政府に寄港承認を撤回させる」と宣言
1964/11/15
日本原水協が東京・日比谷野外音楽堂で米原子力潜水艦日本寄港反対集会。1万2,000人が参加。日米両政府への決議文を採択して国会議事堂まで請願行進
1964/11/16
広島市の平和記念公園にカラー噴水「祈りの泉」が完成し寄贈式。広島銀行が本店新築を記念し建設、広島市に贈った
1964/11/16
米政府原子力委員会が「16日にソ連のセミパラチンスク核実験場の地震を記録した」と発表
1964/11/17
米政府原子力委員会が中国核実験の水爆説を否定。ウラン235を使った低爆発力実験と再確認
1964/11/17
広島市が原爆手帳の不正入手を防ぐため審査係員の増員決める。市議会厚生委員会で説明
1964/11/18
国際原水爆裁判のフランシス・ハイスラー主任弁護士(米カリフォルニア)から浜井広島市長に「戦争を追放する世界市民登録運動を起こしたいから、発起人の1人になって欲しい」との手紙が届く
1964/11/20
ウ・タント国連事務総長が国連総会(12月開会)に提出する年次報告を発表。(1)1965年中に核実験の全面停止、核拡散の防止、核運搬手段の廃棄などの交渉進展(2)核保有5カ国会議の開催(3)一部国連未加盟国(中国、東ドイツ、北朝鮮、北ベトナムなど)のオブザーバー参加-など
1964/11/20
中国共産党機関紙人民日報が部分核停条約を激しく非難。「各国の核兵器不使用の保証から核兵器の全面的禁止に進むべき」
1964/11/26
原水禁広島市協議会が原爆ドーム保存運動の提起決める
1964/11/27
国連放射能科学委員会が報告書。「一定量の放射能を胎児の時に受けた子供は、同じ分量の放射能を受けた大人よりも白血病にかかる危険が数倍高い」
1964/11/27
核禁奈良県民会議が広島市の平和記念公園に吉野山の桜の苗木27本を贈る。8月の平和の灯点灯式に出席した同会議の吉田之久事務長が原爆で夫と子供2人を失った広島市の女性から懇願されたのがきっかけ
1964/11/28
原水禁広島協議会(社会党系)が被災20周年事業計画決定。(1)原爆白書作成運動の展開(2)原水禁運動史の編集(3)原爆ドーム保存運動の展開(4)原水禁会館の建設-が柱
1964/11/--
土曜文学評論主筆のノーマン・カズンズ氏が1963年4月、当時のケネディ大統領の密命を帯びソ連でフルシチョフ首相と会談、部分核停条約成立の説得にあたった秘話を同誌の中で明かす
1964/11/--
厚生省が被爆者の受診手続きを簡素化するため、隣県間の検診委託など原爆医療法の運用改善を各都道府県知事、広島、長崎両市長あてに通達
1964/11/--
ポーランドの作曲家クシシトフ・ペンデレツキ氏の「広島の犠牲者に捧げる哀歌」がレコード化。日本でも販売へ

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