ヒロシマの記録1986 2月
86年2月1日
1986/2/2
荒木広島市長が沖縄市で講演。「核戦争が起きれば世界が破滅することを訴えていく責任がある」
1986/2/2
日本科学者会議広島県支部(代表幹事・中川輝雄広島修道大教授ら)が広島市内で「ヒバクシャと現代」をテーマに発足20周年記念シンポジウム
1986/2/3
広島市よい本をすすめる母の会(住吉和子会長)が、文集「さわらび」の被爆40周年特集号を発行
1986/2/3
日本被団協が厚生省と全政党に被爆者援護法制定を要請
1986/2/4
ジュネーブ軍縮会議の春会期が開幕
1986/2/5
総評が臨時大会で「原水禁85世界大会は国民から遊離」と総括。「反核、反戦、平和で一致できる市民団体、労組、個人で大会実行委員会を発足」との方針決定
1986/2/5
非核都市宣言をしている大分県中津市の反核キャラバン隊が広島市を訪問。3月21日から中津市で開く非核平和展への被爆資料の提供など申し入れ
1986/2/5
被爆者特別措置法に基づく健康管理手当申請を却下された長崎県の41歳の女性が厚生大臣に再審査請求。長崎県では初の健康管理手当に関する不服申し立て
1986/2/6
英原子力燃料公社が「イングランド北西部のセラフィールド工場にある核燃料再処理施設で放射性プルトニウムが漏出し、警戒体制に入った」と発表
1986/2/6
原子力安全委員会の核燃料安全基準専門部会が、原子力発電所から出る使用済み核燃料の再処理施設に対する安全審査指針まとめる
1986/2/9
原子力発電所立地が争点となった山口県熊毛郡上関町の町議選が投開票。推進派11人、反対派7人で反対派が6議席増▽三重県紀勢町長選は推進派勝つ
1986/2/11
ゴルバチョフ・ソ連書記長から荒木広島市長に親書。「広島、長崎の不安をよく理解しており、核兵器のない21世紀をつくらなければならない」
1986/2/12
3・1ビキニデーを前に、核兵器廃絶を訴える平和行進(日本山妙法寺主催)が東京・夢の島から焼津市へ向け出発。50人が参加
1986/2/13
1985年の第5次在米被爆者検診で疾病が見つかったサンフランシスコ在住の松本幸子さんが手術のため里帰り、広島市民病院に入院
1986/2/14
婦人国際平和自由連盟広島支部が1985年秋の米ソ首脳会議前に両首脳に出した核廃絶を要請する手紙に対し、ソ連婦人委員会のワレンチナ・テレシコワ会長(世界初の女性宇宙飛行士)から返書。「戦争の恐怖を根絶し文明社会を守るため、世界の女性が一緒に行動しよう」
1986/2/14
超党派の国会議員や文化人らによる「核軍縮を求める22人委員会」(座長、宇都宮徳馬参院議員)が5月の先進国首脳会議(東京サミット)にあわせ、東京都内で原爆写真・資料展の開催を決める
1986/2/17
核戦争防止国際医師会議(IPPNW)日本支部が1988年度総会の日本招致を決定
1986/2/18
中曽根首相が衆院予算委員会で、米戦略防衛構想(SDI)参加の基準は部分的核使用の是非が焦点と示唆
1986/2/18
宗派を超えた「第1回広島、長崎宗教者平和会議」が長崎市で開催。「2001年を人類平和暦元年にする」などアピール
1986/2/19
原爆アニメ「はだしのゲン」続編の映画化決まる。原作者の中沢啓治氏が広島市で発表
1986/2/19
今井勇厚相が衆院予算委で被爆者援護法制定について「一般戦災者との均衡上問題」と否定的見解
1986/2/20
広島・長崎の証言の会在韓被爆者医療調査団が「イルボンサラムへ~40年目の韓国被爆者」を出版。汐文社
1986/2/20
1985年10月にブラジル・サンパウロ市で開いた南米初の「広島原爆平和展」が同国の優秀展覧会賞を受賞。現地の邦字紙から広島市に手紙と新聞
1986/2/21
広島県廿日市小学校3年生133人が広島の原爆死没者の顔一人ひとりを描いた「14万人の顔」を制作
1986/2/22
5月来日の英チャールズ皇太子夫妻に広島訪問を呼び掛ける長さ90メートルの「ヒロシマ・リボン」完成。提唱者の相原和光YMCA国際平和研究所長や英語教師ローレンス・ウィッグさんらが原爆ドームを取り巻く
1986/2/22
広島県原水協が常任理事会で、3・1ビキニデー集会、原水禁世界大会の統一開催など1986年の運動方針案を決める
1986/2/22
日本被団協、生協連、地婦連など11団体が東京で反核集会「みんなでつくる反核・平和のひろば」。女優の吉永小百合さんが大平数子さんの詩「慟哭」を朗読
1986/2/22
第二次大戦の仏レジスタンス運動の英雄で、退役後反核運動に力を尽くしたジャック・ボラディエール将軍が死去。78歳。1974年、原水禁国民会議(社会党・総評系)の招きで広島を訪問
1986/2/23
ニューヨーク・タイムズが「レーガン米大統領が米ソ両国の欧州・アジアの中距離核を3年間で廃絶するとの包括的軍縮提案をゴルバチョフ・ソ連書記長に送った」と報道
1986/2/24
胎内被爆小頭症患者と親の集まり「きのこ会」が広島市内で「40歳を祝う会」。15家族45人が集まり、親の死後、安心して入所できる施設の建設など要望へ
1986/2/25
ゴルバチョフ・ソ連書記長が第27回党大会で「次の米ソ首脳会談では核実験全面禁止、欧州中距離核削減問題の2つで合意達成が可能」と米の譲歩を求める
1986/2/26
3月1日にロサンゼルスを出発する米大陸横断平和大行進で、広島平和記念公園の「平和の灯」が先頭に。「平和の灯」は1984年のロサンゼルス五輪開催時に広島から運ばれ、ロス市内の寺院で燃え続ける
1986/2/28
原水禁国民会議(社会党・総評系)が静岡県焼津市でビキニ被災32周年集会「世界の核被害者と連帯する集い」▽広島市では原水爆禁止運動ヒロシマ連絡会議(座長、庄野直美広島女学院大教授)が、3月1日に1979年以来続いている統一集会の開催を決める
1986/2/28
パルメ・スウェーデン首相がストックホルム中心街の路上で暗殺される。59歳。非同盟中立国のリーダーで、平和・軍縮推進に活躍
1986/2/--
「広島への原爆投下直後、主に放射線の影響で被爆者の半数が死亡した距離は爆心地から867メートル」-。広島大原医研が原爆被災全体像調査を解析