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連載・特集

『生きて』 洋画家 入野忠芳さん <1> 拘置所壁画

闘病さなか 執念の修復

 高さ4・5メートルの壁に躍る、巨大なコイ、鯨、竜…。道行く人が思わず見上げる広島拘置所(広島市中区)の外壁画は、洋画家の入野忠芳さん(73)=東区=が手掛けた。1989年の作で、大掛かりな修復を先月、終えたばかり。「へこたれない命の力を、大きな生き物に表した。広島にふさわしいと思ってね」。幼少時に左手を失った苦難をはね返すように、絵の道を突き進んできた自身の歩みにも印象が重なる。

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 この修復だけはやり遂げないと―。そう思って、体力を温存するような治療をお願いした。抗がん剤は控えてね。

 昨年10月、重い黄疸(おうだん)が出て、胆管がんと分かった

 諦めはいい方なんだが、この壁画だけはね。画家の余技のつもりだったが、もう、街の風景の一部になっていたから。青空の下、壁の前に立つと心身がしゃんとした。

 完成から20年たった2009年、修復に取り掛かった。退色にひび割れ。20年間の日光と風雨は大変なものです。毎年4、5月に作業して、今年が仕上げの年でした。

 絵の縦幅2メートル、全長約200メートル。一部がこま割りになっていた絵柄を今回、一続きにした

 描き換えに近い修復だね。最初は広島城の築城400年に合わせ、広島市から頼まれた。「殺風景な壁を何とかしてほしい」と。江戸時代の絵巻「江山一覧図」などを資料に、城下の水辺の風景を主に描いた。

 絵柄を決めるのに半年、描くのに半年。描き始めてみると、壁の凸凹が筆を拒む。「じゃじゃ馬ならしだな」とこぼしながら、かすれた味わいを生かす発想で描いていった。絵画研究所の教え子3人に手伝ってもらった。

 ここ5年の修復は独りで作業。妻の泰子さん(62)が見守った

 通り掛かる人からの励ましも、大きな力になった。作業を終え、ほっとしたような、寂しいような気持ちです。

 5歳の時、事故で左手をなくし、原爆に遭った。ゼロからのスタートとよくいうが、僕の場合、マイナスからのスタートという実感です。(この連載は文化部・道面雅量が担当します)

(2013年6月13日朝刊掲載)

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