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小田実の思想結実 友人尽力し平和講座 良心的兵役拒否の独青年 ヒロシマ体験

■記者 桑島美帆

 「日本は平和主義を貫け」-。昨年夏、75歳で死去した作家の小田実さんが生前何度も口にした言葉だ。小田さんはその際必ず、ドイツの「良心的兵役拒否」制度に触れた。18歳で自ら「銃を持たぬ」決断をした人に社会奉仕が義務づけられているこの制度こそ「市民一人一人が積極的に平和をつくる」仕組みなのだ、と。「兵役拒否」を選び、昨年9月から日本でボランティア活動に励むドイツの若者10人が今月、被爆地広島で5日間の平和講座を受けた。

 平和講座を企画したのは、ベルリン応用工学大教授のオイゲン・アイヒホルンさん(63)。1987年の暮れに、小田さんと「独日(日独)平和フォーラム」をつくった人だ。

 「日本は『殺し、焼き、奪う』だけでなく『殺され、焼かれ、奪われる』という2つの戦争体験をして、やっと平和憲法ができた。ドイツも同じだ」(小田実)。2人は互いに日独を行き交いながら、ホロコースト展や原爆展、若者を集めた集会を開き、「正しい戦争は1つも無い」「平和主義に徹せよ」と伝えてきた。

 99年、アイヒホルンさんは兵役を拒否した若者たちから、「日本でボランティアができるようにしてほしい」と頼まれた。ドイツでは兵役拒否者には、兵役期間と同じか、あるいはそれ以上、介護施設などでの奉仕活動が義務づけられているためだ。

 保険、スケジュール調整…。不得手な作業を考えると、あまり乗り気がしなかった。

 そんなアイヒホルンさんに小田さんは言い放った。「素晴らしいじゃないか。彼らをどんどん日本に受け入れよう。そして日本を『良心的軍事拒否国家』にするんだ」

 2001年からワーキングホリデー制度を使えば、日本での受け入れが可能になった。当初、東京の1カ所だった受け皿も、これまでに北海道から長崎まで広がった。

 群馬県高崎市の介護施設で働くバッフォー・コオ・ベアマさん(20)は「お年寄りの食事を手伝ったり大正琴を弾いたり。毎日の異文化交流で、僕は小さな平和づくりに加わっているんです」と話す。

 「せっかく日本で1年間過ごすのなら、もっと学んでほしい」。アイヒホルンさんはドイツの新しい法制度を適用し、今年から年に2回、日本国内で研修を開くことにした。そのうち1回は必ず広島でと決めた。

 確かに、全国に散らばったメンバーを広島で集めるとなると、手間も経費もかかる。だが、「広島には、私とオダの活動の根っこがある。若者が自分で平和と向き合える場所なんだ」。

 今月19日から5日間の平和講座は、座学とフィールドワークを交え、連日朝9時すぎから夕方までみっちり続いた。研修中日には、元原爆資料館長の高橋昭博さん(76)=広島市西区=が、約1時間、被爆体験を語った。

 「アメリカは戦争に勝つと知っていて、なぜ原爆を落としたんだろう。初めての核兵器で何人殺せるのかを実験したかったのかな」。長崎市内の民間の平和博物館で働くバラバス・ロマンさん(20)は、長崎で感じている疑問を口にした。

 札幌市の養護施設から参加したマックシミリアン・ミッタミュラーさん(20)は、「今でも核開発が続いているのは人類の自殺行為だと思う。将来高校の先生になったら、生徒に広島で考えたことを伝えたい」と述べた。

 「良心的兵役拒否の思想はオダの考えの根底にいつもあったんだと思う」とアイヒホルンさん。今年9月には兵役拒否者20人の派遣を目指している。もちろん、広島での平和講座も続けるつもりだ。

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