×

連載・特集

核兵器はなくせる 第6章 特集・北朝鮮の核開発 実用化の脅威迫る

■記者 林淳一郎

 半世紀にも及ぶ北朝鮮の核兵器開発の実態は明らかになっていない。目下の焦点である核兵器の弾頭化と小型化、弾頭を搭載するミサイル技術が、どの程度まで進んでいるか。ベールに包まれた現状と脅威について、韓国の専門家たちの分析を基に検証してみる。

弾頭5~9個可能 プルトニウム韓国専門家分析

 韓国の首都ソウルから北へ約80キロ。非武装地帯内の板門店(パンムンジョム)を6月下旬に訪れると、激しい雨に見舞われた。「手を振るな」「2列になって歩け」。国連軍に属する韓国人兵士が、「安保観光」のツアー客に高圧的に注意を飛ばす。

 朝鮮戦争の停戦協定が結ばれた地。南北に分断された両国の歩みはここから本格的に始まった。今、北朝鮮は核兵器開発に突き進み、そんな同胞の一挙手一投足に、韓国側は不信を募らせる。

 ソウルの市街地を見下ろすビルの26階。政府系のシンクタンク、韓国科学技術政策研究院の李春根(イチュングン)・南北協力部長(50)は「断片的な情報をつなぎ合わせての推測だが」と前置きし、北朝鮮の核開発の経過と現状をこう描く。

 北朝鮮は1950年代半ばから、旧ソ連に科学者を派遣するなどして核開発をスタート。長崎型のプルトニウム爆弾製造を目指した。国内にウラン鉱山があり、埋蔵量は酸化ウラン換算で推定1万5千トン以上。原子炉を活用して年5~7キロの兵器級プルトニウムを生産し、既に30~50キロを蓄えた。6~10個の核弾頭ができる量だ。過去2回の核実験で使った分、新たな再処理分を考慮しても5~9個分が残る計算になる。

 さらに今年6月13日、プルトニウム型より爆発技術が容易なウラン濃縮の着手を宣言した。しかし遠心分離機による高度な技術が求められ、兵器級の高濃縮ウラン生産には到達できていない―。

 推測の具体的な根拠はこうだ。

 既にパキスタンから遠心分離機20台と設計図を入手し、2002年にはロシアから遠心分離機2600台分に相当する高強度アルミ管150トンを輸入したとの情報もある。だが、遠心分離機を高速回転させるベアリングなどの精密部品が流入した形跡がない。自力生産の能力には疑問符が付く。態勢が整っているとはいえない。

 一方、核弾頭を搭載するミサイル開発はどの程度進んでいるのか―。中距離弾道ミサイル「ノドン」は約1トンの弾頭を搭載できるとされる。射程は1300キロ。ほぼ日本全土に届く能力を持つ。

 「もう日本は脅威の範囲内。長距離弾道ミサイルの開発は米国が標的であり、日本が(過剰に)騒いでも…」と政府系の韓国国防研究院の金泰宇(キムテウ)副院長(59)はいう。

 北朝鮮は4月5日の長距離ミサイル発射実験後、14日に6カ国協議からの離脱を表明。同時に国際原子力機関(IAEA)や米国の核査察団の国外退去も通告した。そして国際的な監視が届かない中、5月25日には、2006年10月に続く2度目の核実験を強行した。

 「核開発の中核を担う科学者は約200人とされる。その核が、テロ集団や別の国に渡る恐れもある」と李部長。北朝鮮が核拡散の拠点にもなる懸念を口にする。

 北朝鮮の核兵器はいつ実用レベルに到達するのか。国際社会の関心が集まる将来予測について、韓国外交安保研究院の尹徳敏(ユンドクミン)教授(49)は「核実験とミサイル実験を繰り返している以上、実戦配備に向け着実に近づいているのは間違いない」と断言する。

 日韓両国は既に、北朝鮮の弾道ミサイルの射程圏内にある。短距離「スカッド」(射程300~500キロ)や中距離「ノドン」(同1300キロ)は、命中度などの性能が向上していると指摘され、今月4日の7発に及ぶミサイル連続発射に射程千キロの改良型スカッドが含まれていた可能性もある。

 米国への核攻撃能力も議論の的だ。核弾頭の小型化と長距離弾道ミサイル「テポドン」の実用化時期をめぐり、韓国の専門家の間では「5~10年以内」との見方が多い。米国の軍高官は「3~5年」で米西海岸が射程圏に入るとする。

 尹教授は、核弾頭とミサイル開発が進む現状を踏まえ、「核開発を止められないのならば、実用化を防ぐことはできない」とみる。


元韓国統一省長官 康仁徳氏に聞く

圧力と対話で非核化を 中国との協力で効果的に

 核兵器開発を進める北朝鮮の狙いは何なのか、被爆国の日本など周辺国はどう対応すべきか。約40年間にわたり北朝鮮の動向を見てきた元統一省長官の康仁徳(カンインドク)氏(76)にソウルでインタビューした。

  ―核開発の狙いは何でしょうか。
 外交や交渉の「カード」が目的とよくいわれるが、核兵器国になるためだ。開発初期の1968年、金日成(キムイルソン)主席は核科学者らに「米国本土に爆弾を落とそう」と演説している。

 東西冷戦終結により各国の社会主義体制が崩れ、北朝鮮も存続の危機に直面した。1994年に金日成主席が亡くなり、後継者の金正日(キムジョンイル)総書記は、経済が疲弊し国民が飢えても、核兵器開発に資金を投じ続けた。彼の哲学は、武器しか信じない「先軍(軍事優先)政治」。その最高レベルが核兵器だ。交渉しても放棄しようとしない理由はそこにある。

  ―周辺国はどう対応すべきだと考えますか。
 被爆地広島、長崎の人たちは嫌がるだろうが、現状では日本と韓国は米国の「核の傘」に頼らざるを得ない。北朝鮮が核の力をちらつかせる以上、けん制は必要であり、核兵器で戦うという意味ではない。北朝鮮に圧力をかける外交手段しか解決は望めないだろう。

  ―効果的な手段はありますか。
 中国との協力だ。北朝鮮に入る物資の80%は中国製。石油はそれ以上だ。中国の経済制裁は北朝鮮に響く。その上で中国を通じ「金正日体制を崩すのが目的ではない」「核兵器開発は何の得にもならない」というメッセージを北朝鮮に送らなければならない。

  ―対話を軸に、北東アジアの非核化が達成できると考えますか。
 平和的な解決には、政治、外交努力のほかに道はない。70年代から北朝鮮と対話してきた経験で言えば、政治的な言葉遣いにも注意を払う必要がある。よく「朝鮮半島の非核化」と表現するが、北朝鮮に付け入るすきを与える。彼らは、韓日両国と同盟関係にある米国の核兵器をなくせ、同盟も解消しろ、と主張してくるだろう。

 一方で米朝の国交正常化など、互いの敵視政策を解消する方向も模索しなければならない。平和的解決には膨大な時間と労力を費やすが、あいまいな表現や態度で交渉に臨めば、折り合わない結果を繰り返すだけだ。

康仁徳氏
 1932年11月平壌生まれ。1968年、韓国外国語大学院修了。1978年まで韓国中央情報部北韓(北朝鮮)局長などを歴任した。1979年、極東問題研究所を設立し所長。1998~99年、統一省長官を務めた。

<北朝鮮の核開発の動き>
(日本国際問題研究所資料などを基に作成)

1950年 6月    朝鮮戦争始まる

1953年 7月    北朝鮮と韓国が停戦協定に合意

1974年 9月    北朝鮮が国際原子力機関(IAEA)加盟

1985年12月    北朝鮮が核拡散防止条約(NPT)に加盟

1986年 1月    寧辺の原子炉が稼働

1991年 4月    金日成主席が列国議会同盟(IPU)総会で演説し、朝鮮半島の非核化推進と南北対話促進を強調

1991年 7月    北朝鮮がIAEA本部で核査察協定に仮調印▽北朝鮮が朝鮮半島非核化共同宣言を提案

1991年 9月    IAEA理事会が北朝鮮に、保障措置(核査察)協定案への調印と履行を求める決議を採択。北朝鮮代表は在韓米軍 の核を理由に調印拒否

1991年10月    北朝鮮の延亨黙(ヨン・ヒョンムク)首相が国連総会で、米国が韓国から核兵器を撤収すれば核査察協定に署名する用意があると表明

1991年12月    韓国と北朝鮮が「朝鮮半島の非核化に関する共同宣言」に完全合意。92年1月に文書交換

1992年 1月    北朝鮮がIAEAとの核査察協定に調印

1992年 2月    米中央情報局(CIA)のゲーツ長官が、北朝鮮は核兵器開発を続行し、数カ月から数年以内に核兵器の製造が可能になると推定されると言明

1992年 4月    IAEAとの保障措置協定を批准

1992年 5月    IAEAに核施設や核物質の冒頭報告を提出▽IAEA査察団が北朝鮮入り

1993年 3月    北朝鮮がIAEAの核査察に反発、NPTからの脱退を国連安保理に通告

1993年11月    国連総会がIAEAによる核査察の受け入れを促す初の総会決議を採択

1994年 2月    申告済みの核関連施設7カ所への査察受け入れで合意

1994年 3月    IAEAが「寧辺の放射化学研究所での重要な査察が拒否された」との声明を発表

1994年 4月    金日成主席が北朝鮮の核兵器保有を否定

1994年 5月    IAEAの立ち合いなしに実験用原子炉の核燃料棒の交換作業を開始したと通告

1994年 6月    北朝鮮がIAEAを脱退すると米政府に通告。NPT脱退は保留

1994年10月    米国と北朝鮮が、両国の関係改善、北朝鮮の核開発凍結などを定めた枠組み合意文書に正式調印

1995年 3月    日米韓3国が「朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)」設立協定に調印。KEDOが正式発足

1999年 5月    北朝鮮の地下核施設疑惑調査のため米国の専門家チームが金倉里で初の立ち入り調査。核関連施設はなかったと報告

2002年 8月    KEDOによる軽水炉の収容施設着工

2002年 9月    日朝首脳会談で「平壌宣言」

2002年11月    KEDO理事会が、北朝鮮が核開発計画を速やかに放棄しない限り、米政府による重油支援を凍結すると決定

2002年12月    重油提供の中止に対し、北朝鮮が核凍結を解除すると発表▽IAEAの査察官2人が平壌から退去

2003年 1月    北朝鮮がNPT脱退、IAEAとの保障措置協定の破棄を宣言

2003年 2月    北朝鮮が黒鉛減速型の実験用原子炉を再稼働

2003年 8月    6カ国協議の初会合

2003年10月    北朝鮮外務省が使用済み核燃料棒約8千本の再処理を順調に終えたと表明

2004年 1月    ブッシュ米大統領が一般教書演説で北朝鮮とイランを「世界で最も危険な体制」と名指しで非難

2004年 2月    パキスタンのカーン博士が北朝鮮などに「ウラン濃縮技術を供与した」と供述していたことが判明

2005年 2月    朝鮮中央通信を通じて「自衛のために核兵器をつくった」と核兵器保有を初めて公式宣言

2006年 5月    KEDO理事会が北朝鮮での軽水炉建設事業の廃止を正式決定

2006年10月    北朝鮮が初の地下核実験に成功したと発表

2007年 2月    第5回6カ国協議で、寧辺の核施設の活動停止・封印、IAEAの査察受け入れ、重油5万トン相当の支援開始で合意

2008年 6月    北朝鮮が寧辺の実験用黒鉛減速炉に付属する冷却塔を爆破

2008年 7月    北朝鮮が中国に提出した「すべての核計画申告」で、プルトニウムの抽出総量は約38.5キロで、うち25.5キロ兵器化したと記述していたことが判明

2008年 8月    北朝鮮外務省が米国のテロ支援国家指定解除延期を非難し、寧辺の核施設無能力化作業を中断すると声明

2008年10月    米国務省が、北朝鮮のテロ支援国家指定を解除したと発表

2009年 1月23日 金正日総書記が王家瑞中国共産党対外連絡部長と会談し、「朝鮮半島の非核化に努力する」と表明

2009年 4月 5日 「人工衛星」とするミサイルを発射

2009年 4月14日 6カ国協議からの離脱を表明

2009年 5月25日 2度目の核実験

2009年 6月13日 ウラン濃縮の着手、プルトニウムの全量兵器化を宣言

2009年 7月 4日 弾道ミサイル7発を日本海へ発射

(2009年7月11日朝刊掲載)

この記事へのコメントを送信するには、下記をクリックして下さい。いただいたコメントをサイト管理者が適宜、掲載致します。コメントは、中国新聞紙上に掲載させていただくこともあります。


年別アーカイブ