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社説・コラム

9条理念今こそ世界へ ノーベル賞受賞・益川敏英さんに聞く

■特別編集委員兼ヒロシマ平和メディアセンター長 田城明

 2008年のノーベル物理学賞受賞者で、平和問題にも積極的に発言を続ける理論物理学者の益川敏英さん(71)=京都市在住=に2月28日、京都産業大学でインタビューした。2005年に発足した「9条科学者の会」の呼び掛け人の一人でもある益川さんは、自身の戦争体験に基づきながら、日本の平和憲法の意義、科学者の責任などについて持論を展開。世界中の人々によって、情報が瞬時に共有される時代を迎えた今こそ「高い理念をもった平和憲法を、人類のために生かすときが訪れた」と力説した。

益川敏英(ますかわ・としひで)氏 プロフィル
 1940年2月、名古屋市生まれ。1967年名古屋大学で理学博士号を取得し、同大助手に。1970年に京都大学理学部助手となり、2年後に名古屋大学から転任した5年後輩の小林誠助手(現、高エネルギー加速器研究機構特別栄誉教授)と共同研究。1973年、未発見の究極の粒子(クォーク)の存在を予言し、「CP対称性の破れ」現象を解いた「小林・益川理論」を発表。それが実証され、2008年にノーベル物理学賞を共同受賞。2003年京都大学を定年退官後、京都産業大学教授に。現在は同大益川塾塾頭、名古屋大学素粒子宇宙起源研究機構長を兼任。文化勲章など多くの賞を受賞。著書に「科学にときめく」など。


〔戦争体験〕 

焼夷弾 不発で助かった

 ―ノーベル賞受賞記念講演で、受賞対象の素粒子論の説明に入る前に、戦時中に家具工場を経営していた父、一郎(かずお)さんの仕事に触れ「これも自国が引き起こした無謀で悲惨な戦争で無に帰した」と発言されました。こうした公式の席では異例の発言のように思われますが、どう受け止められましたか。 
 出発前に演説内容を研究者仲間に読んでもらったとき、批判はありました。学術的な場で「そういうことは言うべきではない」と。でも、逆に現地では評判は良かった。ヨーロッパとひと言でいうけれど、英米の社会と北欧とは違う。別の文化圏なのです。自分たちは中央にはいないという思いがある。だから英米の価値観とは違う。

 ―正直、先生の強い信念に裏打ちされた発言だなと思いました。
 いや、大上段に構えたような話ではなくて自然体です。こういうことを言うとひんしゅくを買うかもしれないけれど、ぼくは広島と長崎に投下された原爆にだけは反対というのには反対です。原爆で大量に死んだ人も、あぜ道で遊んでいた子どもが戦闘機による遊び半分の機銃掃射で殺されたのも、死んだ人間からすれば同じなんです。

 ―命の価値に違いがないと…。 
 そう。ぼくがいつも言っているのは、日本も戦争で大きな被害を受けたけれど、中国や朝鮮、東南アジアで同じことをやってきたのです。それに思いをはせることのできない人間は、平和問題を語る資格がないと思っています。何より国益のために戦争するなんて、基本的に反対です。

 ―1945年3月12日の名古屋大空襲で被災したと聞いています。
 市内でも大きな鶴舞(つるま)公園の東端に家があった。すぐそばに陸軍の高射砲陣地があり、米軍のB29爆撃機が飛来すると、歓迎の花火を上げるわけです。日本軍の高射砲は7千メートルぐらいしか届かない。B29は1万メートル上空から周辺に焼夷弾(しょういだん)弾を落としていく。その一つが屋根と天井を突き抜け、土間にいたぼくの前でころころと転がった。幸い不発だったから助かった。爆発していたら間違いなく死んでいただろう。5歳だったが、まるでスチル写真のようにその情景が記憶に焼きついている。もう一つの記憶は、家財道具をリヤカーに積んで、その上にぼくを乗せて、必死に焼け跡を逃げて行く両親の姿です。

 ―恐怖の体験が、先生の平和・反戦思想の原点ですね。
 ところが、子どもだから怖いとも何ともないんですよ。戦争の恐ろしさを本当に知るようになったのは、中学生のころから。新聞の片隅に植民地国のフランスと戦うベトナムの独立戦争のことが載っていた。そういうのを読んで、戦争というのはすさまじいことをやるんだな、と思いました。名古屋大学に入学して、論理的に戦争について深く考えるようになり、一層戦争を嫌うようになりました。1960年の日米安保条約の改定がきっかけでした。戦争で殺されるのも嫌だけれど、やはり一番嫌なのは自分が殺す側に回ることです。


〔平和憲法〕

情報共有化時代に生かせる

  ―6年前に「9条科学者の会」が設立された折、呼び掛け人に加わられましたが、憲法9条の改正に反対される理由は何でしょう。
 9条は国の交戦権を否定しています。宣戦布告はできない。非常に重要な点です。ところが、解釈改憲がどんどん進んで、専守防衛をうたっている自衛隊が「アフリカの角」といわれるソマリア沖まで出かけるようになった。ここまでやりながら、なお9条を変えたいというのは、あってはできないことを政府がやろうと意図しているからです。

 ―こうした現状に、9条がすでに骨抜きになっていると指摘する人もいます。
 しかし、例えば、数年前に東シナ海で不審船がいたときも、自衛艦は20ミリ機関砲を撃てなかった。西インド洋で海賊船が出ても先に撃てない。交戦権がないからです。確かに重要な物資が海賊に襲撃されれば世界の経済に影響を与えるでしょう。でも、日本は自衛隊を派遣しなくても、海賊をいち早く察知して知らせる警報網の整備など、平和憲法の精神を生かした形で国際貢献ができます。膨大な兵器装備に掛ける費用の一部を使うだけで、自衛隊とは別組織の強力な海外協力隊が可能です。

 ―日本の憲法は、前文や9条で明確な平和への意志を表しています。 
 その通り。特に、前文は「平和を愛する諸国民の公正と真義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とか、「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」とある。これをね、押しつけられたものであるとか何とか言うけれど、これほど素晴らしいものはない。押しつけられたものだとしても、いいものであれば結構じゃないか。

 ―全人類が採用すべき崇高な理念に貫かれています。国際政治学者として著名な東京大学名誉教授の坂本義和さんは、国際政治を「ジャングルの法則が支配する世界である」とみなすと、「最悪事態的な行動様式がさけがたいものになる」と、ある著書で指摘しています。そうなると、こうした行動様式こそ「現実的」であり「賢明」であり「合理的」だと考えられるようになります。しかし、日本国憲法はそれとは逆のことを唱えている。つまり「信頼への賭(かけ)」であると。 
 そう、他国に対する信頼です。言葉を換えれば、自分たちも平和憲法を生かすためには、それなりの覚悟がいると言っているのです。抽象的でロマンチシズムだと言われるかもしれないけれど、そうではない世界が現実になりつつある。

 ―と言いますと。
 何かと言えば、情報がグローバルに駆けめぐる時代になって、紛争が起きたときに、その紛争に対して中立的な国が非常に多くなってきた。昔だったら、米国かソ連のどちらかに付いていないとやっていくのが難しいと感じられた。でも、今は世界に約200カ国あるが、そういう国々が情報を共有している。大国でもおかしなことをやったら「おまえたちのやり方の方が野蛮じゃないか」と声を上げてくれるようになった。まだ十分だとは言わないけれど、将来はますますそうなってくる。優れた理念を持った日本の憲法を生かせるときが来ているのです。

 ―ノルウェーのオスロ平和研究所の創設者で、紛争地の平和的解決などに取り組んでいるヨハン・ガルツゥング博士は、私とのインタビューの際に「日本の平和憲法をテレビや生け花のようにもっと世界に広げるべきだ。そうすれば、日本はもっと尊敬される国になるだろう。今はまだ、米国のジュニアパートナーとしかみられていない」と話されました。その言葉がとても印象に残っています。 
 米国と経済活動をやろうと思っているからそういうことになるのです。米国を怒らせたら損だと思っているから。日本国憲法によって世界から尊敬を集めて、経済的にも成り立つような生き方というのはあると、ぼくは信じています。

 ―日本政府の外交や、私たち市民はどうあるべきですか。 
 まず、日本政府のスタンスを変えさせることでしょう。米国べったりで、一朝ことがあったらいけないからと、沖縄の基地も貸さなければいけないという姿勢。こうした姿勢、考えを変えていくことが大切です。


〔科学者の責任〕

生活者の視点で研究を

 ―科学者の社会的責任を意識するようになったのはいつからですか。 
 一番大きかったのは、1968年の米原子力空母エンタープライズの佐世保港への入港問題です。ぼくはまだ良く分からなかったけれど、助教授でこの問題についてよく知っている人がいたので勉強会をやりました。原子力空母や原子力潜水艦がどういう戦略でもって配備されているか。1回航海すると、3カ月ぐらい潜っているわけです。すると原子炉にどれだけの「死の灰」がたまるか。それが1%漏れ出たらどれだけの被害が出るか。こういうことを学んで、市民や労働組合の人々を対象に講演に出かけたりしました。

 ―素粒子研究を続けながらですか。 
 そうです。当時、われわれの研究室の仲間では「二足のわらじを履けないようでは、男じゃねー」などと言って粋がっていました。でも、軍事研究・開発に関わっている科学者はともかく、そうでない科学者や技術者は、自分の研究がどう使われるか必ずしも深く意識しないものです。

 ―平和目的の研究開発が、軍事目的に転用されるときもありますね。 
 一つの例を挙げよう。1970年代に日本でも高層ビルが建ち始めました。すると電波障害でテレビが良く映らなくなった。いわゆるゴースト現象です。ある塗装会社の技師が、ペイントの中にフェライトいう磁石を混ぜ込めた。すると大変いい電波吸収材になった。そのとき、その人はなにも戦争のために開発したのではないのです。しかし15年後、今度はその塗料が米国で「見えない戦闘機」と呼ばれるステルス戦闘機に利用された。黒い機体に塗ってあるのは、電波吸収材です。そのとき、その技師が当初思ってもいなかった形で、戦争目的で使われたのです。科学者はおおむね、思わぬところで自分の開発したものが軍事目的に使われている立場なのです。

 ―こういう場合、科学者はどうすればいいのでしょうか。 
 塗料の開発者は、一般の市民よりもステルス戦闘機の役割が何かが分かります。戦争をやりやすくする道具なんですね。だから、反対しなければいけないということに気づくでしょう。その科学者が科学者のままでいたら、そこで終わってしまうかもしれない。でも、子や孫がいれば分かるでしょう。「戦争をやりやすくするような戦闘機をつくってもらっては困る」と。科学者であると同時に生活者だという視点が加わるときに、その科学者は平和運動に参加してくるのです。だから市民としては、できるだけそういう人を引っ張り出さなきゃいけない。

  ―社会活動や平和運動をしている市民の側から、専門家にアプローチして、集まりに出て彼らの知識も借りることが大事なんですね。
 その通りです。ベトナム戦争のとき、米国ではノーベル賞クラスの30人ほどの研究者を集めて、ある研究をさせた。ジャングルでゲリラ狩りをやる。すると米軍の兵士たちは何人やっつけたという報告をする。報告通りなら、とっくにゲリラはいなくなっているはず。だが、兵士たちは水増し報告をするわけです。それを禁止するにはどうすればいいか。そのことをある機関で議論させているわけです。

 次は一例ですが、左耳を針金でさしてそれを持って来させる。左耳は1人の人間に一つしかない。従って人間の数と合っているはずだ。こんな結論を出すために一級の科学者に依頼して研究をしてもらう必要はない。でも、そうやって参加させたら、その人たちはベトナム戦争反対と言わないでしょう。いわば戦争目的のために総動員するのです。政府というのは、そのぐらいのことはやっている。

 ―今の日本でも、しっかりとした思想や戦争に対する考えを持っていなければ、自分の持っている能力が悪用される可能性があるわけですね。 
 日本でもあり得ることです。やはり漠然とした知識ではなくて、平和について思想と言えるようなレベルにまで掘り下げて理解している必要がある。そのためには、先に触れた電波障害のケースもそうですが、その人たちを運動に引っ張り出す必要があるわけです。

 ―引っ張り出すということは、科学者や技術者へのプレッシャーにもつながりますね。 
 むろんそうだが、引っ張り出して話を聞いてあげることによって、仲間を増やしていくことにもなる。社会運動というのは、そういうものだとぼくは思っている。

 ―科学者もやはり人間性が大事だと…。 
 よほどのきっかけがあって考えるようになるのではないかと思います。生活者としての視点、実感が一番大事なのです。そのことに気づいた段階で、科学者としての知識が役立ってくるのです。科学者だから必然的に平和主義者になるわけではありません。


〔北東アジア情勢〕

緊張緩和へ対話の促進を

 ―最近、日本では中国の軍事増強や北朝鮮のミサイル、核開発に対して警戒心が強まっています。核抑止力が必要だと感じている人たちもいます。北東アジアの状況をどう見ていますか。 
 仮に北朝鮮が日本に向けてミサイルを発射すれば、それなりの被害は受けるでしょう。完全に守ることはできません。しかし、北朝鮮がそのような行動を取れば、一瞬のうちに北朝鮮という国は地上からなくなります。極東に配備した米軍がもつ破壊力、日本の自衛隊がもつ破壊力が、相手をはるかに上回っているからです。

 ―国の滅亡を覚悟しなければ取れない行為ということですね。私たちは北東アジアの状況を固定的に見がちですが、正しくないかもしれません。隣国とも共存できる。そのことが互いの利益になるという意識で接していくことが大事でしょうか。 
 その通り。やはりもっと対話をしたり、具体的な行動を取ったりしていくことが大切です。ぼくはそう思っています。

 ―例えばどのような方法が考えられますか。 
 北朝鮮は、米国と交渉したいと言っているわけです。ところが、米国は嫌だと退けている。北朝鮮が求めているのは安全保障なのです。自分の国を米軍の力でつぶさないでほしいと訴えているのです。米国が話し合いに応じないのは、つぶす意志があるぞということを示しているからです。だから北朝鮮は、余計に身構えてしまうわけです。彼らがどうしたら安心できるか。そのための仲介を日本ならできるはずです。しかし、日本は米国と一緒になって圧力をかけている。

 ―それでは良い環境づくりにつながらない? 
 そういうことです。今のままだと、北朝鮮はいき詰まってしまうでしょう。崩壊ではなく、セーフティーランディングのようなことを考えないといけないのにです。

 ―そのためにどんな方法がありますか。 
 基本的には、北朝鮮を地上からなくすなどと言わないことです。彼らはそれを一番恐れているわけです。そのために、軍事的な挑発をしたり、どこかでテロを起こしたりもするのです。それを止めさせるためには何が必要か。彼らが何を求めているのか。外交の舞台裏などで、しっかり交渉することが重要です。


〔非戦の時代へ〕

通常兵器での戦争も否定すべき

 ―被爆地広島のメディアとして、原爆・平和報道に力を入れています。「核兵器はなくせる」といったタイトルを付けた連載企画も、2009年から2010年にかけて展開しました。しかし、日本政府の立場は「核の抑止力は当分必要である」とのスタンスです。政府は国連総会などで「核兵器廃絶」を訴えながら、一方で「核の傘」を認めています。こうした日本の「2重基準」政策は、世界の多くの国や国際的な非政府組織(NGO)などからその矛盾を指摘されており、広島や長崎の核廃絶への取り組みをも弱める結果になっています。この状況をどう克服すればいいでしょうか。 
 特別な知恵はない。オバマ米大統領は、2009年4月のプラハ演説で「核なき世界」の実現を訴え、一歩を踏み出しました。でも、米国はまず、こういう手順で核兵器はなくしますということを言わなきゃいけない。それをまだ言っていないですね。

 ―オバマ大統領は、核兵器を持つ国がある限り、抑止力として核兵器は持ち続けると言っています。
 性能のいいミサイルに搭載するような原爆を造るのは難しいけれど、ちゃちな原爆を造るのは難しいことではなくなった。地球上にはまだ核兵器を求める国家がいる。そういう国がなくなるような手段を持たないといけない。その方策と同時に、核大国の米国とロシアは、自分たちも核廃絶に向けてここまで努力するからと行動で示さなければならない。

 ―今年2月には、米ロ間で新戦略兵器削減条約(新START)が批准されました。批准後7年以内に、配備戦略核弾頭数を各1550個、大陸間弾道ミサイル(ICBM)など運搬手段の配備数を各800と決めました。しかし、未配備の戦略核弾頭や、戦術核弾頭などを含め米ロ両国だけでなお2万個余り保有しており、まだまだ多いと言わざるを得ません。米国が今、力を入れているのは核兵器に転用できる核物質の国際管理です。 
 不拡散のための取り組みも必要だろう。だが、それだけだと、自分たちは持つけれど、ほかの国には造らせないという発想です。これでは世界は納得しない。核保有が認められている国があること自体、不思議な感じがするね。

 ―核拡散防止条約(NPT)は差別条約です。このため今は、非核兵器国であるオーストリア、スイスなど先進国を含め多数の国が、核兵器禁止条約(NWC)実現のための交渉を始めようと取り組んでいます。対人地雷、クラスター爆弾禁止条約の次は、劣化ウラン弾、そしてその次に、化学兵器や生物兵器と同じように、核兵器も禁止しようとの狙いです。 
 今では核兵器でなくても、通常兵器として扱われている劣化ウラン弾や白燐(はくりん)弾など、破壊力の大きな爆弾が使われるようになった。最近はあまり聞かれなくなったが、小型核爆弾に準ずるような巨大な破壊力を持つデイジー・カッターというような兵器もある。兵士でさえも死体を正視できないような非人道兵器が登場してきている。

 ―第2次世界大戦で、日本中の都市という都市で使われた焼夷弾、先生の命を奪っていたかもしれない焼夷弾も、当時の最先端兵器でした。大戦後66年で次々と新しい兵器が開発されてきました。最大の非人道兵器である核兵器の使用、製造、保有も禁止しなければいけないですが、先生の目から見ると、通常兵器でも戦争してはならない時代に入っているということでしょうか。 
 基本的には、戦争をやってはいけない時代を迎えたいうことです。今では国連に参加して、全地球的にものを考える国が随分増えてきました。実体的に植民地のようなところも残っているけれど、形の上ではなくなった。だんだんと、あこぎなことはできにくくなって来ました。

 ―そうすると、人類は共存共栄の道を進まざるを得ない…。 
 大国がわがままを言えなくなる世界が生まれるだろう。貿易もグローバルになりつつあり、こうした人々の発言力も増している。まだ実現にははるか遠いが、こうした状況こそ世界から戦争がなくなる基盤だと僕は思っている。

(2011年3月7日朝刊掲載)

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