核通過見込み5海峡で領海3カイリ 「密約」で政府判断
09年6月22日
政府が宗谷、津軽など五つの重要海峡の領海幅を3カイリ(約5.6キロ)にとどめ、法的に可能な12カイリ(約22キロ)を採用してこなかったのは、米軍の核搭載艦船による核持ち込みを政治問題化させないための措置だったことが21日、分かった。政府判断の根底には、1960年の日米安全保障条約改定時に交わされた核持ち込みの密約があった。複数の元外務事務次官が共同通信に証言した。
これらの海峡は、ソ連(現ロシア)や中国、北朝鮮をにらんだ日本海での核抑止の作戦航行を行う米戦略原子力潜水艦などが必ず通らなければならないが、12カイリでは公海部分が消滅する海峡ができるため、核が日本領海を通過することになる。
このため、核持ち込み禁止などをうたった非核三原則への抵触を非難されることを恐れた政府は、公海部分を意図的に残し核通過を優先、今日まで領海を制限してきた。表向きは「重要海峡での自由通航促進のため」と説明してきており、説明責任を問われそうだ。
外務次官経験者によると、領海幅を12カイリとする77年施行の領海法の立法作業に当たり、外務省は宗谷、津軽、大隅、対馬海峡東水道、同西水道の計5海峡の扱いを協議。60年の日米安保改定時に密約を交わし、米核艦船の日本領海通過を黙認してきた経緯から、領海幅を12カイリに変更しても、米政府は核持ち込みを断行すると予測した。
そこで領海幅を3カイリのままとし、海峡内に公海部分を残すことを考案。核艦船が5海峡を通過する際は公海部分を通ることとし、「領海外のため日本と関係ない」と国会答弁できるようにした。
ある次官経験者は「津軽海峡を全部、日本の領海にしたら『米軍艦は核を積んで絶対に通らないんだな』と質問された場合、『積んでいない』と答えなければならない。しかしそれはあまりにもうそ」と言明。「うそをつかないために」公海部分を残したと証言した。 別の経験者は「(12カイリにして)ゴタゴタするより(公海として)空けたままにして従来通りという方が楽」との打算があったと語った。
米政府は冷戦後、日本にも寄港した空母などから戦術核を撤去したが、戦略原潜は今も核弾道ミサイルを搭載し、日本近海を航行しているとみられる。
政府が津軽海峡などの5海峡の領海幅を3カイリにとどめてきた背景に、米軍核搭載艦船の領海通過・寄港を容認した核持ち込みの密約が影響していた実態が、外務事務次官経験者の証言であぶり出された。「国家のうそ」が重大政策のゆがみを生んできたのである。
ある経験者は「(政府が)以前のうそに金縛りになっていた」と明言した。日米安全保障条約改定時の密約を受け、政府は「艦船を含めた核持ち込みはない」とのうそをつき通さざるを得なくなり、「金縛り」の帰結が、世界的にもほとんど例がない重要海峡の領海幅制限だった。政府はこれ以上のうそをやめ、真相を国民に開示すべきだ。
領海幅を12カイリとした領海法が国会審議されていた1970年代半ばから、5海峡のみを3カイリに据え置いたことに関しては、非核三原則との関係が取りざたされてきた。津軽海峡などは領海幅を12カイリにすれば、全海域が領海となる。「米核艦船を通させるため」(76年2月の岡田春夫衆議院議員の質問)に公海部分を残したとの指摘もあったが、政府は一貫してこれを否定してきた。
しかし今回、こうした過去の政府説明が虚偽であることがはっきりした。密約で核艦船通過を黙認してきた政府は、領海幅を広げることで非核三原則との整合性を国会で追及されるよりも、3カイリにとどめることで核心的な問題を回避する「一番楽な」(別の経験者)やり方を選んだわけだ。
「津軽海峡の公海域で中国の軍艦船がレーダーを回しても何も言えない」(民主党関係者)との意見も聞かれる。公海域では国連の制裁決議を受けた北朝鮮船舶への貨物検査も事実上不可能だ。
新たな安全保障政策立案の観点からも密約に起因する「国家のうそ」の連鎖を断ち切るべき時期が来ている。
領海法
1977年に施行され、それまで3カイリ(約5.6キロ)としてきた日本の領海幅を12カイリ(約22キロ)とした国内法。ただし宗谷、津軽、大隅、対馬海峡東水道、同西水道の5海峡については「特定海域」とし、「当分の間」は3カイリに据え置くこととした。その理由について政府は「重要海峡での自由通航促進のため」などと説明してきた。その後、12カイリ領海や200カイリ排他的経済水域、領海である国際海峡における軍艦の「通過通航権」を認めた国連海洋法条約が94年に発効。しかし日本は5海峡について3カイリの領海幅を引き続き堅持、世界的にも極めて珍しい海洋政策を採り続けている。
(共同通信配信、2009年6月22日朝刊掲載)
これらの海峡は、ソ連(現ロシア)や中国、北朝鮮をにらんだ日本海での核抑止の作戦航行を行う米戦略原子力潜水艦などが必ず通らなければならないが、12カイリでは公海部分が消滅する海峡ができるため、核が日本領海を通過することになる。
このため、核持ち込み禁止などをうたった非核三原則への抵触を非難されることを恐れた政府は、公海部分を意図的に残し核通過を優先、今日まで領海を制限してきた。表向きは「重要海峡での自由通航促進のため」と説明してきており、説明責任を問われそうだ。
外務次官経験者によると、領海幅を12カイリとする77年施行の領海法の立法作業に当たり、外務省は宗谷、津軽、大隅、対馬海峡東水道、同西水道の計5海峡の扱いを協議。60年の日米安保改定時に密約を交わし、米核艦船の日本領海通過を黙認してきた経緯から、領海幅を12カイリに変更しても、米政府は核持ち込みを断行すると予測した。
そこで領海幅を3カイリのままとし、海峡内に公海部分を残すことを考案。核艦船が5海峡を通過する際は公海部分を通ることとし、「領海外のため日本と関係ない」と国会答弁できるようにした。
ある次官経験者は「津軽海峡を全部、日本の領海にしたら『米軍艦は核を積んで絶対に通らないんだな』と質問された場合、『積んでいない』と答えなければならない。しかしそれはあまりにもうそ」と言明。「うそをつかないために」公海部分を残したと証言した。 別の経験者は「(12カイリにして)ゴタゴタするより(公海として)空けたままにして従来通りという方が楽」との打算があったと語った。
米政府は冷戦後、日本にも寄港した空母などから戦術核を撤去したが、戦略原潜は今も核弾道ミサイルを搭載し、日本近海を航行しているとみられる。
<解説>「国家のうそ」政策縛る
政府が津軽海峡などの5海峡の領海幅を3カイリにとどめてきた背景に、米軍核搭載艦船の領海通過・寄港を容認した核持ち込みの密約が影響していた実態が、外務事務次官経験者の証言であぶり出された。「国家のうそ」が重大政策のゆがみを生んできたのである。
ある経験者は「(政府が)以前のうそに金縛りになっていた」と明言した。日米安全保障条約改定時の密約を受け、政府は「艦船を含めた核持ち込みはない」とのうそをつき通さざるを得なくなり、「金縛り」の帰結が、世界的にもほとんど例がない重要海峡の領海幅制限だった。政府はこれ以上のうそをやめ、真相を国民に開示すべきだ。
領海幅を12カイリとした領海法が国会審議されていた1970年代半ばから、5海峡のみを3カイリに据え置いたことに関しては、非核三原則との関係が取りざたされてきた。津軽海峡などは領海幅を12カイリにすれば、全海域が領海となる。「米核艦船を通させるため」(76年2月の岡田春夫衆議院議員の質問)に公海部分を残したとの指摘もあったが、政府は一貫してこれを否定してきた。
しかし今回、こうした過去の政府説明が虚偽であることがはっきりした。密約で核艦船通過を黙認してきた政府は、領海幅を広げることで非核三原則との整合性を国会で追及されるよりも、3カイリにとどめることで核心的な問題を回避する「一番楽な」(別の経験者)やり方を選んだわけだ。
「津軽海峡の公海域で中国の軍艦船がレーダーを回しても何も言えない」(民主党関係者)との意見も聞かれる。公海域では国連の制裁決議を受けた北朝鮮船舶への貨物検査も事実上不可能だ。
新たな安全保障政策立案の観点からも密約に起因する「国家のうそ」の連鎖を断ち切るべき時期が来ている。
領海法
1977年に施行され、それまで3カイリ(約5.6キロ)としてきた日本の領海幅を12カイリ(約22キロ)とした国内法。ただし宗谷、津軽、大隅、対馬海峡東水道、同西水道の5海峡については「特定海域」とし、「当分の間」は3カイリに据え置くこととした。その理由について政府は「重要海峡での自由通航促進のため」などと説明してきた。その後、12カイリ領海や200カイリ排他的経済水域、領海である国際海峡における軍艦の「通過通航権」を認めた国連海洋法条約が94年に発効。しかし日本は5海峡について3カイリの領海幅を引き続き堅持、世界的にも極めて珍しい海洋政策を採り続けている。
(共同通信配信、2009年6月22日朝刊掲載)