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原爆資料館 展示の変遷は 企画展 70年代から現在までの在り方紹介

 広島市中区の原爆資料館が初めて大規模改装した1970年代から現在までの変遷をたどる企画展「8月6日へのまなざし」が、資料館東館で開かれている。収集した被爆者の遺品の展示の在り方の移り変わりや、保存・整理方法の変化などを紹介している。9月13日までで、無料。(小林可奈)

 写真パネルや実物資料の計約200点を並べた。焼け焦げた衣服の展示では、等身大のマネキンから現在の籐(とう)製の展示具に着せる形に変わってきたと解説。熱線により人が腰掛けていた部分が影のように残った「人影の石」は、旧住友銀行広島支店から資料館に移す様子を紹介している。

 73年には被爆直後の人々の状況を視覚的に伝える展示手法としてろう人形を配したジオラマを設置し、賛否を呼んだ経緯も取り上げた。資料の長期保存では、劣化を招く日光を遮ったり、湿度を調整する展示ケースを導入したりしている工夫を発信している。

 資料館は「被爆資料は、人々の人生や夢を断ち切った原爆の残酷さを証言している。どう後世に伝えていくか。模索を続けてきた歩みを知ってほしい」としている。

被爆資料劣化に危機感 改善へ奔走

保存の礎築いた初代学芸員横田さん

 原爆資料館の企画展「8月6日へのまなざし」には、初代学芸員として1974~83年に勤めた島根県立大名誉教授の横田禎昭さん(81)=広島県府中町=が保存などに携わった資料が並んでいる。資料保存の礎を築いた横田さんは「被爆の実態を後世に伝える実物を、少しでも劣化を防ぎながら残す。そこにエネルギーを注いだ」と振り返る。

 横田さんが学芸員に就いた翌年の75年、資料館は新装オープンした。3カ年計画で進めた大規模改修工事の前は、ガラス張りの展示室に外光が差し込み、被爆資料をどう守るかなどが課題となっていた。横田さんは資料の保管や展示方法の改善に力を注ぎ続けた。

 広島大大学院文学研究科の博士課程で学んだ中国考古学の専門家。日焼けなどによる変色や破れなどの劣化が進んでいた被爆資料を前に「このままでは貴重な資料がどんどん失われてしまう」と危機感を強めた。仕事の合間を縫っては広島大に通い、海外の文献を読みあさって改善策を探った。

 熱線や放射線を浴びた髪を劣化から守るため、防虫剤と湿度の調整剤を底面に入れられる二重底の展示ケースを考案した。「資料を残し続けるためには、正確なデータの記録と管理が必須」と、資料ごとに大きさや収蔵日、分類番号や写真などを詳しく載せた「資料カード」を導入した。

 酸化による劣化を防ぐため、窒素ガスを封入する保存ケースの開発には、特に思い入れがある。自ら設計して広島市内の業者に試作してもらい、窒素がどれくらい漏れ出すかを約2年間計測するなど、試行錯誤を重ねた。多額の費用がかかるため実用化には至らず「今も残念」と振り返る。

 55年に開館し、2019年4月には3度目の大規模改修を終えて本館がリニューアルオープンした資料館。現在は新型コロナウイルス禍の影響を受けるが、国内外に核兵器の恐ろしさなどを訴える役割は変わらない。

 「被爆資料は負の歴史の証言者で、体験を語る被爆者がいなくなった後も原爆被害を伝えてくれる。専門知識を駆使し、守り続けてほしい」。資料館の後輩たちに、横田さんは思いを託している。(小林可奈)

(2021年7月20日朝刊掲載)

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