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広島の建物疎開 変遷は 大分の佐藤さん 広島大卒論で空撮写真解析

 広島大(東広島市)教育学部を今春卒業した佐藤拓実さん(22)=大分市=が、被爆前の広島市街の空撮写真を使い、戦時下の「建物疎開」で空き地造りや道路拡幅がどのように進んでいったかを卒業論文で解析した。19日にオンライン開催される地理科学学会で発表する。

 空襲時の延焼を防ぐ目的で、広島市内では1944年11月から6次にわたり、建物疎開として対象家屋などが撤去された。原爆で関連書類が焼失したこともあり、実態は不明な点が残る。そこで佐藤さんは、陸軍や米軍が39年12月と45年4、7月に撮影した写真を、地理情報システム(GIS)ソフトで緯度と経度を重ねるなどして比較。空き地や道路が広がる様子を可視化した。

 建物疎開については、対象地の選定や実施に「都市計画的意図」もあった、と元広島大教授の石丸紀興さん(80)が指摘した約30年前の論文がある。佐藤さんは先行研究を踏まえて、広島市の都市計画を表す39年の地図「街路事業参考図」と航空写真の比較も試みた。

 現在の鷹野橋商店街(中区)付近を見ると、39年末時点の未整備区画が、45年4月には「参考図」に沿って建物が撤去されていた痕跡があった。一方、小網町(現中区)の「西遊郭」一帯は事業対象外だが空き地に。佐藤さんは、戦時体制を理由に歓楽街を排除した可能性がある、との見解を示した。

 45年8月6日、広島市内は防火帯もろとも壊滅。建物疎開作業で市中心部に旧制中学の生徒らが大規模動員されていたことが、犠牲を拡大させたといわれる。

 佐藤さんは大分市出身。復興を象徴する平和大通りが建物疎開に由来すると知って関心を抱き、熊原康博准教授(46)の指導で研究に打ち込んだ。「大切な家が一気に壊されていった様子が写真から分かる。戦争の異常さを感じる」と力を込める。地理科学学会のサイト(http://www.chiri‐kagaku.jp)で視聴の事前申し込みができる。(桑島美帆)

(2021年6月15日朝刊掲載)

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