『書評』 戦場の漂流者・千二百分の一の二等兵 半田正夫語り・稲垣尚友著
21年4月19日
文字から一番遠い世界
作家で竹細工職人の稲垣尚友が書き留めた異色の戦場体験記である。稲垣は師である民俗学者宮本常一をうらやましがらせた熟練の旅人だが、語り手の半田正夫が「もっと早ように、あんたに会(お)うとれば良かったっち」と悔やんだほどの聞き手でもある。
1922年福岡県大牟田市に生まれた半田は鹿児島県与論島で育ち、神戸市で機械工の職に就く。徴兵検査を経て福岡県久留米市の部隊に戦車兵として配属されるはずが、柳井市の部隊に船舶工兵として配属された。フィリピンに送られる途中、敵の攻撃で2度、大海原を漂流して二度とも助かる。半田の生への執念と軍隊の不条理が軽妙なタッチで語られていくのだ。
漂流中、かつお節をかじって生き延びた兵隊の体験は評者も聞いたことがある。半田は漂流中、自船から豚肉の白身が流れてきた。食えそうにないが、脂なら寒さはしのげると体に塗ったという。その効果の程は今となっては分からない。ともかく運よく生き延びたというほかない。
半田はルソン島に上陸し、過酷な戦場へ。行軍中に倒れた兵隊は置いていく。死んだら持ち物は剝ぎ取って使え、と命じられた。死ぬというのに「空の飯盒(はんごう)を抱えて離さない姿は今でも忘れられん」。目に付いた物は何でも口に入れたが、「でんでん虫」だけは食えなかったという。
そして終戦。逃げ延びるのに必死で、何の感慨もなかった。仲間は次々に倒れ、半田は一番階級の低い兵隊に。だが遺棄された塩の山を見つけ、一人で「一升五合」食ってから部隊に持ち帰ると上官までが平身低頭。捕虜収容所を経て無事、復員した。
稲垣は25歳の頃、旅先の鹿児島県トカラ列島で半田と出会う。戦後の半田は離島の開拓に身を投じ、その世話役だった。図書館の蔵書の世界ではなく「文字から一番遠い世界」に身を置こうと決意した稲垣にとって、半田はかけがえのない語り手となる。
本書は語りに手を加えていない。語り手の奥底の思考を捉えたいのなら、まずは丸ごとのみ込め―と稲垣は説く。ちなみに「千二百」とは船舶工兵の総員数だという。(佐田尾信作・特別論説委員)
弦書房・1980円
(2021年4月19日朝刊掲載)