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パルチコフ家 苦難を一冊に 戦前・戦中に広島在住の白系ロシア人 米で遺族執筆

 広島で被爆した白系ロシア人故セルゲイ・パルチコフさんの長女カレリアさん(2014年に93歳で死去)が書き残した戦時中の広島での暮らしや、一家の被爆体験をまとめた本が米国で出版された。カレリアさんの長男アンソニー・ドレイゴさん(70)=カリフォルニア州=が執筆した。(新山京子)

 カレリアさんが戦後に記した文章と、1945年12月に米戦略爆撃調査団の聞き取りに答えた録音テープなどを引用している。一家がロシア革命後に亡命し、約4カ月間の航海を経て23年に広島へたどり着いた経緯や、父が広島女学校(現広島女学院中高)の音楽教師の職を得て上流川町(現広島市中区)で暮らした戦前の日常を紹介する。

 パルチコフさんがスパイ容疑を掛けられて一時投獄され、職も失った太平洋戦争中の苦労とともに、45年8月6日の状況も詳細につづる。爆心地から約2・5キロ離れた現在の東区牛田旭の自宅で一家は被爆。カレリアさんは、避難先でけが人の看護を手伝った。「全身にガラスが刺さった幼い男児に何もしてあげることができなかった。『お母さん』と叫びながら死んでいった」と記す。

 終戦後、カレリアさんは家族と東京に移住。連合国軍総司令部(GHQ)に勤め、48年に結婚を機に米国へ渡った。その年に米国のラジオ番組に出演し、自ら語った被爆体験の内容も本に収めた。

 本の題名は「SURVIVING HIROSHIMA」。知人のダグラス・ウェルマンさん(70)と共著で、16・95ドル(約1800円)。アマゾンのウェブサイトなどで購入できる。ドレイゴさんは「このようなことを二度と起こしてはいけない、という母親の思いを伝えたい。日本語訳も目指す」と話している。

セルゲイ・パルチコフ氏
 ロシア中部カザニ生まれ。ロシア革命を逃れ、27歳の時広島にたどり着いた。映画館でバイオリンを演奏中に腕を見込まれ、1926~43年に広島女学校の音楽教師。終戦後は米国に移住し、69年死去。カレリアさんが86年、父の被爆バイオリンを広島女学院に寄贈した。現在、広島女学院歴史資料館(東区)に展示されている。

(2020年9月15日朝刊掲載)

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