被爆地広島 地元紙の原爆平和記事
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都市型スポーツ 平和の願い発信 きょうから3日間 中区で大会 被爆80年 五輪選手ら出場
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25年4月18日 ニュース
核抑止 脱却議論を NPT準備委前にNGOが要請
米国で28日に始まる核拡散防止条約(NPT)再検討会議の第3回準備委員会に向け、被爆者団体や非政府組織(NGO)でつくる「核兵器廃絶日本NGO連絡会」(東京)...
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25年4月18日 ニュース
[ヒロシマドキュメント 被爆80年] 1971年8月6日 首相初の平和式典参列
「遅きに失す」 認識示す 被爆26年の1971年8月6日。広島市の平和記念式典が平和記念公園で営まれた。台風の影響で横殴りの雨に打たれる中、佐藤栄作首相...
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25年4月18日
ニュース
「世界の記憶」に増上寺仏典 ユネスコ 広島原爆資料は見送り
国連教育科学文化機関(ユネスコ)は、重要な文書や絵画などを保護する「世界の記憶」に、徳川家康ゆかりの「増上寺が所蔵する三種の仏教聖典叢書(そうしょ)」を登録し...
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25年4月17日 ニュース
基町高生の被爆体験継承 題材 「平和のバトン」国語の教科書に 市長に著者報告
作家でジャーナリストの弓狩匡純さん(65)=東京=が広島市の松井一実市長と面会し、被爆者の体験を聞き取って「原爆の絵」を描く基町高(中区)の生徒の活動を追った...
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25年4月17日 社説・コラム
[論 昭和100年] 特別論説委員 岩崎誠 毒ガス兵器と日本
科学技術の暴走 どう歯止め 昭和を代表する負の遺産が大久野島(竹原市)だろう。毒ガス戦で多大な犠牲が出た第1次世界大戦の反省から、100年前の1925年...
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25年4月17日 ニュース
[ヒロシマドキュメント 1946年] 4月 白島国民学校に新校舎
1946年4月。広島市の白島国民学校(現中区の白島小)が、バラック建ての新校舎で授業を再開していた。原爆で校舎を失った学校の多くが焼け跡や間借り先での授業を余...
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都市型スポーツ 平和の願い発信 きょうから3日間 中区で大会 被爆80年 五輪選手ら出場
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25年4月18日 ニュース
核抑止 脱却議論を NPT準備委前にNGOが要請
米国で28日に始まる核拡散防止条約(NPT)再検討会議の第3回準備委員会に向け、被爆者団体や非政府組織(NGO)でつくる「核兵器廃絶日本NGO連絡会」(東京)...
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25年4月18日 ニュース
[ヒロシマドキュメント 被爆80年] 1971年8月6日 首相初の平和式典参列
「遅きに失す」 認識示す 被爆26年の1971年8月6日。広島市の平和記念式典が平和記念公園で営まれた。台風の影響で横殴りの雨に打たれる中、佐藤栄作首相...
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25年4月18日
ニュース
「世界の記憶」に増上寺仏典 ユネスコ 広島原爆資料は見送り
国連教育科学文化機関(ユネスコ)は、重要な文書や絵画などを保護する「世界の記憶」に、徳川家康ゆかりの「増上寺が所蔵する三種の仏教聖典叢書(そうしょ)」を登録し...
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25年4月17日 ニュース
基町高生の被爆体験継承 題材 「平和のバトン」国語の教科書に 市長に著者報告
作家でジャーナリストの弓狩匡純さん(65)=東京=が広島市の松井一実市長と面会し、被爆者の体験を聞き取って「原爆の絵」を描く基町高(中区)の生徒の活動を追った...
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25年4月17日 ニュース
[ヒロシマドキュメント 1946年] 4月 白島国民学校に新校舎
1946年4月。広島市の白島国民学校(現中区の白島小)が、バラック建ての新校舎で授業を再開していた。原爆で校舎を失った学校の多くが焼け跡や間借り先での授業を余...
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25年4月17日 ニュース
[ヒロシマドキュメント 被爆80年] 1970年4月21日 養護ホーム入所開始
「原爆孤老」心身をケア 1970年4月21日。広島市舟入幸町(現中区)に開所した広島原爆養護ホームで、被爆者たちの入所が始まった。この日は広島原爆病院(...
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戦後80年 芸南賀茂 大和追悼 <上> 心に封じた「死なないで」
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25年4月6日 連載・特集
[ヒロシマドキュメント 被爆80年] 1945.8.6~2025 1960年8月 原爆ドーム保存運動 始まる
「目から消える物は心からも消える」 親や友の犠牲 風化させない 米軍による原爆投下から15年となる1960年夏、広島市中心部で朽ちていく原爆ドーム...
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25年4月4日 連載・特集
ヒロシマドキュメント 証言者たち 松井美智子さん(後編)
仲間の無念を胸に発信 原爆孤児となり、戦後10年を必死に生きた若者で結成した「あゆみグループ」。松井美智子さん(89)=広島市南区=たち創設メンバーが機...
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25年4月3日 連載・特集
ヒロシマドキュメント 証言者たち 松井美智子さん(前編)
集った若者 みな暗い目 心ほぐした夫婦は「恩人」 「あの頃のことは今も忘れん。まだ9歳だったのに」。広島市南区の松井美智子さん(89)は言う。 ...
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25年3月31日 連載・特集
[私の道しるべ ヒロシマの先人たち] 前広島県被団協事務局長 前田耕一郎さん(76) 近藤幸四郎
「誤った国策」明記 譲らず 広島県被団協(箕牧(みまき)智之理事長)の事務局長を7年半担い、昨年6月に退いた。鹿児島で生まれ育ち、被爆者でも被爆2世でも...
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25年3月22日 連載・特集
広島と映画 <9> 映画プロデューサー 紀伊宗之さん 「がんばっていきまっしょい」 監督 磯村一路(1998年公開)
手弁当で上映 自信の源に 批評家的に見て「優れた映画」はたくさんある。でも「好きな映画」は記憶の産物だろう。「あなたの一番好きな映画は」と問われれば、「...
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25年3月17日 連載・特集
『記憶を受け継ぐ』 清水弘士さんー「空白の10年」伝える
清水弘士(しみずひろし)さん(82)=広島市東区 下痢に悩んだ幼少期 口癖は「たいぎい」 被爆者が「空白の10年」と呼(よ)ぶ時代がありま...
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[論 昭和100年] 特別論説委員 岩崎誠 毒ガス兵器と日本
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25年4月12日
社説・コラム
天風録 『2段落目焼き釜→焼き窯など手直し』
忙しい朝に備え、前夜からホームベーカリーに材料をセットし、予約タイマーをかけておく。焼き上がるパンの香りで目覚めるのは何とも幸せな気分である。大仰かもしれない...
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25年4月4日
社説・コラム
天風録 『さくらの国で』
不思議なものである。何ら気にも留めていなかったのに、どこか浮き立つ感じがある。指折り数えられるほど、その日が近づいたからだろうか。大阪・関西万博の開幕まで、あ...
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25年4月1日
社説・コラム
朝凪(あさなぎ) 「店主不在」に染みた酒
帰りの寄り道が増えた。2月までいた柳井支局は2階が仕事場、3階が自宅。通勤は5秒もかからない。広島へ4年ぶりに戻り、今は混み合う路面電車で20分ちょっと。運賃...
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25年3月31日 社説・コラム
[知っとる? ヒロシマ調べ隊] 援護法求める運動の一つ
Q 「被爆者列車」という寝台列車が昔走ったの? 「被爆者列車」は、被爆者援護法制定を求める運動の一形態です。公的機関の労働組合を主体とする総評系の18団...
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25年3月29日
社説・コラム
天風録 『カープ縦読み、横読み』
中国放送からカープへのエールだ。新聞を開きテレビ欄を縦に読む。頂点目指せ―などと巧みに隠された別の文がにじむように浮かぶ。13年前に始まった企画という▲がむし...
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25年3月29日 社説・コラム
[表現者の戦後・被爆80年] 小説家 平野啓一郎さん(49) 当事者じゃないから 書く意義
核抑止論 「現状追認型の現実主義」 広島、長崎への原爆投下と第2次世界大戦の終結から80年を迎える。終戦以来、あまたの作家や芸術家があの惨禍を描いて...
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証言 記憶を受け継ぐ
- 『記憶を受け継ぐ』 原田敬二さんー幼さ残る女学生「水を」
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- 『記憶を受け継ぐ』 金花子さん―負った「二重の苦しみ」
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ジュニアライター発信
中国新聞ジュニアライターの中高生
『ジュニアライター発』 日米の高校生が学習会 対話 平和への一歩に


国泰寺高(広島市中区)の姉妹校である米国ニュージャージー州の高校「バーゲン・カウンティー・アカデミーズ」の生徒12人が広島を訪(おとず)れ、私たちと一緒(いっしょ)に平和を考える学習会に参加しました。 最初に平和記念公園(同)を歩きました。原爆資料館を見学後、米国の生徒は「授業で学ぶのは広島で約14万人が亡(な)くなったということぐらい。被爆者一人一人の人生に触れ、見方が変わった」「つらい気
記事一覧動画で平和発信

トロント市民へ、平岡敬さんからのメッセージ
被爆79年の8月6日(現地時間)、サーロー節子さんたちがカナダ・トロント市庁舎前広場で開いた集会で放映された平岡敬・元広島市長のメッセージ動画です(撮影・山田尚弘) 記事はこちら...
動画一覧