3. 科学者 ずさんな管理に警告
13年2月20日
第4章: インド・マレーシア・韓国
第2部: トリウム汚染―マレーシアの日系企業
第2部: トリウム汚染―マレーシアの日系企業
限度超える放射線量
「反対運動を始めた時は、何もかも手探り。戸惑うことも多かったわ」。人一倍明るい戴秀芳(タイ・シュー・フン)さん(31)は、5年前を振り返りながら言った。ブキメラーに住む彼女は、会社勤めのかたわらペラ州反放射能委員会の活動に打ち込んでいる。
放射能=危険。戴さんらの出発点は、この本能的な反応にあった。だが、危険だといっても実際に放射線レベルがどの程度なのか、科学的な裏付けは何もなかった。
住民たちは、ペナン消費者協会や環境団体を通じて、低レベル放射線問題の専門家である埼玉大学理学部の市川定夫教授(遺伝学)に現地の放射線量の測定を依頼した。市川教授は、ムラサキツユクサを使った低レベル放射線の研究で著名な科学者である。
一方、エイシアン・レアアース(ARE)社は1984年に起きた住民運動を機に、それまでに捨てた廃棄物をドラム缶に詰め直したり、捨て場に有刺鉄線を張ったりするなどして簡単な対策を取り始めていた。
「私が調査に行った時は、工場と廃棄場の間の公道に面して有刺鉄線が張ってあった。しかし、放射線の危険を知らせる標識はなく、裏側からは楽に出入りできる状態だった」と市川教授は振り返る。当時、すでに約350トンものトリウム廃棄物が捨てられていた。
測定は12月28日から4日間、公開で行われた。使用機器は、線量計(GMサーベイメーター)と、全方向からの放射線を2ミリレントゲンまで正確に測定できる熱蛍光線量計(TLD)だった。その結果、投棄場の周りの最大値は年間4.82レムと、国際放射線防護委員会(ICRP)が定めた一般人に対する当時の線量限度(年間0.5レム)の約10倍にもなり、限度量改定後の現行基準(同0.1レム)の48倍に達した。
「大切なことは、TLDはベータ線とガンマ線は測定できるが、波長の短いアルファ線の測定能力はないという点だ。トリウム232をはじめ、崩壊過程で生まれるラドン220などのアルファ線放出核種は測定値に含まれていない」と市川教授は指摘する。
健康障害が現れる
市川教授よりも2カ月早く現地を視察した米ピッツバーグ大学医学部教授(疫学)で、放射線影響研究所の客員研究員でもあったエドワード・ラドフォード氏も、まさにこの点の危険を警告する。ラドンがガス状になって放出され、呼吸や食物を通じて体内に入る可能性があるというのだ。そして、彼は調査リポートの中で「AREの労働者やブキメラー村など周辺住民に、すでに潜在的な健康障害が出ているのは明白」と断言している。
戴さんらは、聞き慣れない放射線用語に戸惑いながらも、「危険は実証された」と、ブキメラーの長老ら8人を原告に1985年2月、イポー高裁にAREの操業停止などを求め提訴した。その年の10月、同高裁は住民の訴えを認め、操業停止と廃棄物の除去・管理を命じた。
AREは1カ月後に操業を停止した。その後、山のような工場裏の廃棄物をドラム缶に詰め替え、その跡を整地して1986年、同じ場所に現在の暫定貯蔵所を建てた。そして米国から国際原子力機関(IAEA)の元専門官を招き、周辺の放射線量を測定した。その後、「安全が確認できた」として、政府から操業再開の許可を取り付け、1987年2月、再び操業を始めた。
「安全こそわれわれの関心事」
AREが暫定貯蔵所の塀に掲げた英語とマレー語の看板にそう書いてある。しかし、貯蔵所完成後に行った市川教授の再調査ではなお、国際基準を超す放射線が検出された。そして、戴さんらが一番恐れていた健康障害が現れ始めた。