8. 「放射能海岸」の悲劇
13年2月20日
第4章: インド・マレーシア・韓国
第1部: 核と貧困―インド原子力開発の影
第1部: 核と貧困―インド原子力開発の影
自然放射線 国際基準の5~50倍
インド最南部ケララ州の州都ツリバンドラムからアラビア海に沿って北へ約100キロ。この一角に地元民が「放射能海岸」と呼ぶ砂浜がある。延長37キロに及ぶ海岸線の自然放射線量は、国際放射線防護委員会が定めた年間被曝線量限度(一般人0.1レム)の5倍から50倍。原因は一帯の砂に含まれるモナザイト鉱石が放出する放射線だ。核燃料物質トリウム232や、レアアース(希土類元素)の貴重な原料として、インド・レアアース公社が大量に採取を続けている。これらの放射性物質を含んだ砂は、沿岸に暮らす住民に深刻な被害を及ぼしている。
海岸に面した村々をつなぐ細い道。両側にはヤシの林が続く。木陰に小さな家が点在する海岸をジープで走って、「放射能海岸」の最北端にあるアラパット村へ向かった。
「ここらへんで放射線量を測ってみよう」。村の手前に差しかかったところで、民間の研究機関である産業安全・環境問題研究センター代表のV・T・パドマナーバンさん(40)が言った。同センターはクイロン市に事務所を持ち、2年前からこの地域全体の健康調査に当たっている。
ピピピピピ……と、日本製のガイガーカウンターがけたたましく鳴った。「地上10センチで年間に換算して1.8レム。国際基準の18倍だね」とスタッフの1人が言った。黒っぽい砂が太陽の光を受けてキラキラ輝いている。砂浜のヤシの根元で老人がまどろみ、浜辺では朝の漁から戻った若者らが古びた舟を陸へ引き揚げていた。
その砂浜を通って村へ入り、1軒の家を訪ねた。10平方メートルほどの広さで、玄関を入ったすぐそばのベッドにアシャちゃん(7つ)という女の子が寝ていた。やせ細った手足は曲がったままで、大きく口を開いて眠る姿は、何か苦痛を訴えているように見えた。
「娘に分かるのはおなかがすいたことぐらいで、ほかには何も分からない」と母親のビシャーマさん(30)が、弱々しく言った。そばから夫のラジャさん(34)が「食べ物はミルクやバナナのようなものばかり。ご飯はこの子には固すぎてだめなんだ」と付け加えた。付きっきりで介護に当たる母親の顔に疲れがにじむ。
2人がアシャちゃんの体の異常に気づいたのは生後8カ月だった。成長の遅れに加えて、声をまったく出さなかった。たびたび高熱に襲われ、やがてベッドの上だけの生活が始まる。「もしかすると…」という両親の悪い予感は的中した。3つ年上の長女と同じ症状が出始めたのだ。
長女は4年前、6歳で亡くなった。町の医者からは、先天性の病気だと言われたが、原因はまったく分からない。2人にも思い当たることは何もなかった。
そんな2人は最近、放射能という聞き慣れない言葉を耳にした。しかし、それが人体にどんな影響を及ぼすのか何も知らなかった。「仮にあんたたちが言うように、そいつが危険だとしても、わしらにはこの村を出てほかに行く所はないよ。金も生活手段もないんだ。政府の援助でもない限り…」。ラジャさんはこう言って母親に抱かれたアシャちゃんを見やった。「この子もいつまで生きられるか」という夫の言葉に、ビシャーマさんは目をうるませた。
慰めの言葉もないままラジャさんの家を後にし、村の中を歩いてみた。驚いたことに障害者が多い。肩の奇形に苦しむウジェイゴマさん(23)、複合障害を持つジョセフちゃん(7つ)、いつも笑い顔のダウン症のロールドちゃん(14)、5人兄弟のうち3人までが視力障害というソロモンさん(31)一家など、同じ地域にこれほど障害を持つ子供や青年が多いのは、やはり自然放射線が高いせいなのか。住民が救われるためにどんな対策が必要なのか。「放射能海岸」とも「不妊コーナー」とも呼ばれる村々の現実は重い。
高レベル地域に5万人が居住
自然放射線のレベルが高い地域は、アラパット村など4村にまたがり、約8千家族、5万人が住んでいる。全インド医学研究所(ニューデリー)は1977年、放射線高レベル地域の住民1万3千人と、平常レベル地域の6千人を対象に健康比較調査を実施した。
それによるとダウン症候群は、高レベル地域12人に対して平常レベル地域はゼロ、重度心身障害者は12人に対して1人、原因不明の特発性疾患も11人に対して3人など、2つの地域には大きな違いがあった。また、染色体の異常も「高レベル地域により多く見られた」と報告している。
この調査結果に対して、原子力庁直轄のバーバ原子力研究センター(ボンベイ)は「あの地域で高い線量を浴びている人たちに、特に異常は見られない」と反論している。
ところが、産業安全・環境問題研究センターのパドマナーバンさんは「原子力庁は十分な実態調査もせずに安全神話を作り出している」と厳しく批判。同時に全インド医学研究所の調査に対しても「放射線被曝との関連が深い流産率や死亡者の実態などがはっきりせず、全体像をつかみきっていない」と指摘した。
こうした調査の空白を埋めるため、同研究センターは、1988年3月から高レベル地域の全世帯と、近隣の平常レベル地域の約7千家族、4万人を対象に疫学調査を進めている。パドマナーバンさんは「瞬間的に大量の放射線を浴びた広島・長崎と違って、この地域では胎内に生命が宿った時点から亡くなるまで放射線を浴び続けており、原爆被害とは異なったデータが出るだろう」と予測する。調査結果の分析に当たっては、米国、日本などから専門家を招き、被害者対策も検討する計画である。
モナザイト埋蔵量は世界一
ここでインドのモナザイト(希土類元素の原料)の歴史をみておこう。「放射能海岸」のモナザイトは1909年、ドイツ人のシュミットが発見した。1912年に英国企業が採取、輸出を始め、第二次世界大戦終結の1945年まで、世界の産出量の半分近くを占めていた。
インドは、独立した翌年の1948年に原子力庁を設置し、同時にモナザイトの輸出を禁止した。禁輸措置を取ったのは、モナザイトに含まれるトリウム232(天然の放射性核種の1つ。核燃料物質として厳しい規制の対象となっている)を将来の核燃料物質として使用することを考えていたためとみられる。1950年には、インド・レアアース公社(IRE)を設立し、2年後にクイロンの北150キロにあるアルウェイの精製工場でトリウム生産を始めた。
インドのモナザイト資源は、タミールナドゥ州など数カ所にあり、世界一の埋蔵量を誇っている。現在、年間精製量は約3千トンで、これまでに3千から3千500トンのトリウムを将来の核燃料物質として備蓄しているとみられる。原子力庁は、1980年代までにトリウムを利用した高速増殖炉の実用化を見込んでいたが、計画が大幅に遅れ、現在のところ国内でトリウム需要のめどはない。
ところが、同じモナザイトに含まれるレアアース(ランタンなど17元素の総称。主にモナザイト鉱石から抽出する)は、先進国を中心にエレクトロニクスなど先端産業に幅広く利用されるようになり、需要は急増している。このため、今ではレアアースが外貨獲得源となり、トリウムは「副産物」にすぎなくなった。